天国に旅立った母・そして知った衝撃の真実【大腸がん(直腸がん)闘病記4】

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突然、30年前に知り合いの社長さんの家で働いていた事を
今の事の様に話しだした母。

この頃は、昔の事を言い出す事が多くなりました。

急激な容態悪化

母「コースケ、ここ何処?」

私「病院だよ」

母「病院…だから知らない人が多いんだねえ…」

母「誰か、入院してるのかい?」

私「母さんが入院してるんだよ。すぐ退院できるけどね」

母「ああ…そうなんだ…」

もう、自分が入院している事さえも忘れてしまってるようです。


そして、自分一人では上手く食事をする事も出来なくなってきたので
毎食、私が補助してあげてました。

先月まではうるさい位喋ってたのに
今では黙って、じっと天井を見つめたままの時間が多くなりました。

新潟に帰って1ヶ月以上経ちました。

もはや、歩く事はおろか自分でトイレも食事もできず
会話もほとんど出来なくなっていました。

急激に容態が悪化してきたため
4人部屋から個室に移す事にしました。

そして、夜中に病院から携帯が…


『とうとう来たか…』


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最後の言葉

母の容体が悪化したとの事で急いで病院へ行きました。

病室へ着くと意識の無い母のベッドの側に
ドラマ等でよく観る心拍数や血圧や波線を表示してる機械がありました。

ずっと、ピンコ~ン、ピンコ~ンと鳴ってます。

何も聞かなくてもこの音がヤバイ感じなのは何となくわかります。

でもまだ余命宣告から2ヶ月も経ってません。

『まだ早いよ~』

『心の準備が出来てないよ~』

そう思いながら一晩中母の手を握ってました。

翌朝、母の意識が戻りホッとしましたのですが

母はか細い声で

母「コースケ、もういいよ」

私「え?何、何が?」

母「ありがとね」

私「え?何言ってんの!言ってるが意味がよく解らないよ

  ○○(愛犬の名前)が待ってるんだから早く元気になって退院しなきゃ!!」


しかし、これが母の最後の言葉になったのです。

喋りたくないのか、喋れないのかはわかりませんが
それっきり母が喋る事はなくなりました。

しばらく私は、病院で寝泊まりしていましたが
夜中になると時々両手を上げる事がありました。

まるで何かを掴もうとするかのように…

3月に入りました。

話しかけると、こっちを見て頷くので意識はあるようです。

そんな感じが続いてましたが

3月5日、母は亡くなりました。

初めて知った事実

母の葬儀の時
叔父さんから聞いた初めて知る事実がありました。


母の姉は、乳がんで若くして亡くなったそうです。

今までの私には、ガンは完全に他人事。

今まで身内でガンで亡くなったという人は聞いた事なかったし
自分の回りの人でも、ガンになった人を見た事も聞いた事もありませんでした。

なので、国民病と聞いてもピンと来なくて人事のように思ってました。

それなのに、伯母さんは乳ガン、母は胆嚢ガンで亡くなってしまった。

つまり私にとって、ガンは他人事ではないという事。

落ち着いたらそのうちに医者に行けばいいやって思い、何ヶ月も放っていた体の異変。

その事が、急激に大きな不安に変わりました。


ひょっとしたら、今の自分の体の異変はガンなのかもしれない…

その日から、取り憑かれたようにパソコンで検索しまくると
症状が当てはまるのがありました。

大腸がんでした。

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