末期ガンの母の看病【大腸がん(直腸がん)闘病記3】

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4ヶ月間休まず働いた私は
退職して実家の新潟に帰って来ました。

胆嚢ガンで余命3ヶ月と宣告された母。

その姿は私の想像とは全く違っていて
ビックリするほど元気でした。

元気な母

母は、最後に会った時よりは少し痩せてました。

自分がガンという事や余命宣告の事も知りません。

直ぐに退院できると思い込んでます。

 
とは言え、あまりの元気さにこっちが面食らうほどです。

本当に余命宣告されたのか…ひょっとして何かの間違いではないのか
そう思うくらい母は元気でした。

 
担当の先生に話を聞くと
胆嚢がんが転移して大腸がんも併発しているとの事でした。

もう手術は不可能で余命は2~3ヶ月、もって半年。

 

あんなに元気なのに…信じられません。

 

先生から延命を優先するか

苦痛を少なくするのを優先するか

聞かれました。

 
私は、出来るだけ苦痛の無いようにとお願いしました。

 

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愛犬に会いたがる母

新潟に帰ってから10日以上が経ち2月に入りましたが
母は相変わらず元気です。

 

毎日病院に行きましたが
食欲もあるし
若い男性の看護師に

「私のタイプだから愛してる~」

なんて冗談を言ったりとあきれるくらい元気。

 

ただ、辛かったのは母が可愛がっている愛犬に会いたがっている事でした。

さすがに病室に連れてくるわけにはいきません。

 

車で愛犬を連れてきて
母を車椅子で車の所まで連れて行って会わせるという方法もありました。

でも、季節は冬。

新潟の2月はとっても寒いのです。

 

さらに、酸素を十分に取り入れる事が出来ない母は
酸素吸入装置から長く離れられません。

なので愛犬に会わせるのは不可能な事なのでした。

携帯で撮った動画を見せてあげる事くらいしか出来ませんでしたが
母はそれを毎日楽しみにしていました。

記憶障害

2月に入ってしばらくした頃から
母の食欲が朗らかに落ちてきました。

 
何とか食べさせようと

「しっかり食べないと退院が遅くなるよ」

「○○(犬の名前)が待ってるよ」

と、言って何とか食べてもらうようにしてましたが
日に日に食べる量は減っていました。

 

トイレは部屋にあるポータブルトイレで用を足してましたが、
お腹が苦しくて何回もトイレに座るのに出ない事が多くなりました。

 

やがて、ベッドから降りる事も出来なくなったため
肛門に直接管を入れ、袋に便を溜める事にしました。

 

さらに、喋ると疲れるのか口数も少なくなりました。

 

そして、2月半ばを過ぎた頃です

母「コースケ…お願いがある」

私「うん?どうした?」

母「この前、由利から貰った大事な指輪を質屋に入れてしまって
 今月中に戻さないと流れてしまうから取りに行って来て…」

私「えっ、あ…うん、わかった」

由利は東京に住んでる1番上の姉。

20~30年前は羽振りが良かったので服やバッグやアクセサリーなどを
よく母や次女に送ってくれてたけど、
今はどちらかと言うと厳しい生活のはず。

なので、最近指輪を貰ったという事に違和感を感じました。

 

その日、姉に連絡すると
案の定、全く知らないらしい。

ということは昔貰った指輪を質屋に入れたのか?

でもここ数年は、私が仕送りしている上、急な入用があった時も
別にお金を送金してあげていたので
そこまでお金に困る事は無かったはずでした。

 

翌日、病室に入るやいなや

母「コースケ!!〇〇さんに連絡したいんだけど、体が動かないから
 今日は行けないって代わりに電話して!早く!」

私「〇〇さん…って誰?」

母「何言ってるの~!!私がお世話になってる社長でしょうが!!」

名前を聞いて思い出しました。

30年ほど前、まだ私が地元にいた頃
母が毎日、知り合いの社長の家に昼と夜、食事を作りに行っていて、
結構な手当を頂いていてました。

 
その社長の名前でした。

ちょっと、変わった名字なので直ぐに思い出しました。

 

そして、その瞬間ようやく理解できました。

 

記憶障害になっているんだと…

 

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